[大会ディレクターより選手の皆様へ]
選手の皆様
KagaSpa Trail Endurance 100 by UTMBへのご参加、誠にありがとうございました。
レース当日の山中温泉は、37℃という日本国内での最高気温地点を記録する酷暑になりました。そのような過酷な状況に対してレース前半に水分や食料、選手の皆様向けの氷を多く配置するといった計画がうまく行かず、十分な飲食物をご提供することが出来ませんでした。特に、旧OSJ山中温泉トレイルランニングレースをご存じない選手は、想定を超えた過酷な状況になってしまった選手もいらっしゃったかと思います。大変申し訳ありませんでした。UTMB World Seriesの一員になることで、これまでの延長線上ではない運営を再構築し、来年に向けて今日からまた邁進する所存です。今後UTMB Global teamより大会に対するアンケートが配信されますが、忌憚のないご意見をいただければ幸いです。
今大会の開催を受け入れてくれた山中温泉の住民のみなさま、地元や遠方から名乗りをあげ、昼夜問わず休憩も満足にとらず選手のために全力を尽くしてくれたボランティアの方々、選手のケアに尽力してくれた救護チーム、会場やコース演出を受け持ってくれた設営チーム、大会制作物をデザインしてくれたデザイナー、レースを盛り上げてくれたMCや撮影チーム、EXPO出展ブランドの皆様など、大会に関わるスタッフは、大会が誇る最高のチームだったと自負しています。みなさまのご協力なくしてこの大会は成り立ちませんでした。本当にありがとうございました。
2025年6月23日 滝川 次郎
古代から続く知られざる美しい山々
石川県にある山中温泉は、開湯から1300年の歴史があります。レースの舞台である山中温泉には、富士写ヶ岳、大日山、鞍掛山からなる河南三山と呼ばれる雄大な里山が連なり、360度を見渡せる絶景の稜線トレイル、美しい新緑のブナの原生林を見ながらの急登、健やかに流れる渓流沿いのシングルトラック、木の根っこやガレ場のテクニカルな下り、メンタルに打ち勝つ長い林道、歴史を感じる厳かな散策路等、日本ならではのトレイルコースに、世界各国のランナーたちは感動することでしょう。
開湯から1,300年の歴史を持つ秘湯
スタート、ゴールの地である山中温泉の歴史は古く、約1,300年前に奈良時代の高僧・行基が発見したと伝えられています。行基は丸太に薬師仏を刻んで祠を造り、温泉のお守りとしました。多くの人が山中を訪ね、その湯で病と疲れを癒したとされます。 イベント会場の中心にある総湯は菊の湯と呼ばれ、男湯と女湯が隣同士に建てられています。
奈良時代から時は過ぎて平安末期の治承の頃。能登の地頭・長谷部信連は一羽の白鷺が傷めた足を山陰の小さな流れで癒しているのを見つけます。その場所を掘ると5寸ばかりの薬師如来像が現れ、美しい温泉が湧き出しました。信連はここに12件の湯宿を開き、それが山中温泉旅館の始まりと語り継がれています。
さらに長い時を経た元禄の頃。俳聖・松尾芭蕉が弟子の曾良を伴って日本各地を旅した奥の細道の途中、元禄2年7月27日に山中温泉を訪れています。芭蕉は山中の湯を、有馬・草津と並ぶ「扶桑の三名湯」と讃え、「山中や 菊は手折らじ 湯の匂ひ」の句を読みました。
9日間も山中に逗留した芭蕉は、薬師堂を詣で、温泉につかり、風光明媚な景色を心から楽しんだと言われています。以来300年余の時が流れた今もなお、ここ山中の地にはこんこんと湧く出湯と豊かな自然、日本の美と心が受け継がれているのです。