奥能登豪雨災害へのお見舞い
令和6年9月21日から能登半島を中心に発生した豪雨災害の被害に遭われた皆さま、ならびにそのご家族ご関係者の皆さまにお見舞い申し上げます。
元日に発生した震災からの復旧・復興に向き合われている最中の災害に言葉もありませんが、被災地の1日も早い復旧・復興を心よりお祈りいたします。
なお、KagaSpa Trail Endurance 100 Japan by UTMBの開催地である加賀市山中温泉は、目立った被害はなく、2025年6月の開催や、10月11月に計画している試走会に直接の影響はありません。
UTMBワールドシリーズの開催は国内のトレイルランナーにとって夢であり、世界のランナーは日本でのレース開催を待ち望んでいます。この大会で国内外の多くのランナーが石川県を訪れ、美しい山々を舞台に行われるレースに参戦し、レース後、歴史や文化、食を堪能することで、石川県の魅力を母国や地元に伝えて頂き、将来、世界各国から観光客が訪れることで少しでも復興の一助になることを願っています。
賛同頂ける皆さん及びサポート頂ける企業や団体の皆さんのお力添えを頂き、UTMBワールドシリーズを成功させるべく、精一杯頑張ろうと思いますので、ご協力を宜しくお願い致します。
大会プロデューサー 滝川 次郎
古代から続く知られざる美しい山々
石川県にある山中温泉は、開湯から1300年の歴史があります。レースの舞台である山中温泉には、富士写ヶ岳、大日山、鞍掛山からなる河南三山と呼ばれる雄大な里山が連なり、360度を見渡せる絶景の稜線トレイル、美しい新緑のブナの原生林を見ながらの急登、健やかに流れる渓流沿いのシングルトラック、木の根っこやガレ場のテクニカルな下り、メンタルに打ち勝つ長い林道、歴史を感じる厳かな散策路等、日本ならではのトレイルコースに、世界各国のランナーたちは感動することでしょう。
開湯から1,300年の歴史を持つ秘湯
スタート、ゴールの地である山中温泉の歴史は古く、約1,300年前に奈良時代の高僧・行基が発見したと伝えられています。行基は丸太に薬師仏を刻んで祠を造り、温泉のお守りとしました。多くの人が山中を訪ね、その湯で病と疲れを癒したとされます。 イベント会場の中心にある総湯は菊の湯と呼ばれ、男湯と女湯が隣同士に建てられています。
奈良時代から時は過ぎて平安末期の治承の頃。能登の地頭・長谷部信連は一羽の白鷺が傷めた足を山陰の小さな流れで癒しているのを見つけます。その場所を掘ると5寸ばかりの薬師如来像が現れ、美しい温泉が湧き出しました。信連はここに12件の湯宿を開き、それが山中温泉旅館の始まりと語り継がれています。
さらに長い時を経た元禄の頃。俳聖・松尾芭蕉が弟子の曾良を伴って日本各地を旅した奥の細道の途中、元禄2年7月27日に山中温泉を訪れています。芭蕉は山中の湯を、有馬・草津と並ぶ「扶桑の三名湯」と讃え、「山中や 菊は手折らじ 湯の匂ひ」の句を読みました。
9日間も山中に逗留した芭蕉は、薬師堂を詣で、温泉につかり、風光明媚な景色を心から楽しんだと言われています。以来300年余の時が流れた今もなお、ここ山中の地にはこんこんと湧く出湯と豊かな自然、日本の美と心が受け継がれているのです。